【技術者コラムvol.11】定義について

第2種/日野市/M.S

概念の内容や用語の意味を正しく限定するために“定義”はなくてはならないものである。勿論それら定義の中には、広く一般にも認められるものもあれば、ある特定の分野では通用するが、広く一般には通用しないものもある。

例えば前者に含まれるものとしては、“三角形”の定義がある。それは、平面幾何だけでなく球面幾何まで考慮すると、「三つの線で形成される図形」となるだろう。

また我々と縁の深い“送配電系統”について、電力システムといった観点から電圧の違いによって定義すると、各電力会社による若干の相違はあるにせよ、「100kV以上の系統を送電系統」「77kV以下の系統を配電系統」とするが、これも電力システムという特定の分野に関係するものではあるが、前者に含まれるものといってもよいのではないだろうか。

一方後者に含まれるものとして、例えば “心” がある。

“心”というと、キチンと科学的に定義されているのかというとそうではないらしい。

以前私の知人の医学部の教授にこの問題について訊いたことがあるが、少なくとも医学の世界(今から10年弱前当時)では、明確に定義されているわけではないとのことであった。

ちなみに仏教(正確には上座部仏教)では、“心”を「生きるための機能」と定義している。

ここで“機能”とあるように、“心”は物質ではないので、私見ではあるが物質を基盤とする現代の科学では、これをうまく定義するのは極めて難しいことの様に思う。

さらに定義があるようで、正確な定義がないものとして、“薬害”というものもある。

このような一見すると、定義があるように錯覚を起こす用語には注意が必要だろう。

例えば最近、わが国ではほとんど報道されていない“WHOのパンデミック”の定義も、実は先日の外務委員会で我が国の外相が「現在、WHOのパンデミックの定義はない」旨答弁していたので、以前は存在していたが現在は無定義語になっているということである。

したがってこれも上記のような錯覚を起こさせる用語に含まれ、今後どのように改変されるかを、その改変過程も含めて注視する必要があるだろう。