【技術者コラムvol.26】エリートになれなかった犬
第2種/埼玉県さいたま市/A.T
盲導犬の訓練の様子を観た。
通常、盲導犬にはラブラドールレトリバーやゴールデンレトリバーが選ばれる。
いずれも大型犬で、その性格が従順であり、人間と作業をすることを好むことから採用されている。
盲導犬候補となる犬は、まずパピーウォーカーに預けられる。パピーウォーカーとは、盲導犬候補の子犬を生後2か月ごろから1歳前後まで生活を共にして、人間とのルールなどを学ばせるボランティアである。
盲導犬になるには、訓練所で1年間ほど厳しい訓練を受ける。
それは、将来、目の不自由な飼い主の目となり杖となるからである。
訓練で合格した犬は、それを望んでいる人の元へ送り出される。
いわゆるエリート犬なのである。ただ、この犬には自己主張は抑えられ、走ることも許されず、感情は抑制される不自由な生活を強いられる。その犬も約10年間の務めを終えると引退し、その後はパピーウォーカーまたはボランティアのもとで余生を過ごす。犬の寿命は14歳から15歳くらいなのである。
一方、訓練で不合格となった犬は、パピーウォーカーのもとへ返される。
この犬は、盲導犬としては適さなかったが、以前の飼い主のもとで幸せに暮らしている。人を癒す力は充分にある。決して負け犬ではない。感情が豊かすぎたのかもしれない。
どちらの生き方も肯定しなければならない。
盲導犬になった犬には、「よく任務を果たしたね。立派だよ。」と、
そうでなかった犬には、「訓練によく耐えたね。あなたは決して落ちこぼれではない。もう自由になっていいんだよ。」と声かけたい。
人間の場合はどうだろうか。ヘルマンヘッセの作品に「車輪の下」がある。
子供の心を押しつぶすような大人の無理なエリート教育に翻弄されて、人生の苦難の渦に巻き込まれていく少年ハンスを描いている。無理な教育は、人を蝕む。ハンスはエリートを拒否するようになる。そしてハンスはエリートになれなかった。いや、エリートを希望しなくなったと言ったほうが適切かもしれない。
エリートになるだけが幸せではないと思う。その世界は、感情を表に出さない場合が多く、非人間的な要素も少なからずある。エリートになれなくても、人生の選択肢はいくつもあり、多様な生き方がある。
自分らしい生き方ができればいいのではないかと思う。