【技術者コラムvol.49】戦前の話、大きなプレゼント
第1種/宮崎県延岡市/S.M
戦前の話、大きなプレゼント
戦前の話をしよう。
当時の発電技術は水主火従と言われ、水力発電が主体であった。
しかし、国内には有力な水源はなく、海外に目が向けられていた。
日本は中国や朝鮮に進出し、発電所や工場を建設した。
日本窒素肥料は北朝鮮に巨大な水力発電所と肥料工場を造った。
空気から窒素を得て、水を電気分解して得た水素と合体させ、アンモニアを合成した。
それから肥料を作ったのである。
原料費がかからず、エネルギーも費用がかからない優れた技術であった。
この肥料工場には4万5千人の人が働いていた。
鴨緑江に設けた水豊ダムは高さ100m、長さ100km、面積は琵琶湖の約半分という当時世界で3番目の規模であった。
ダムは1944年に完成し、発電電力は70万kWを誇っていた。
しかし、完成後間もなく終戦となり、日本人は引き上げ、設備は北朝鮮にそのままプレゼントされた形になった。
日本窒素肥料は戦後解体され、窒素、積水化学、旭化成に分割された。
当時の電力技術と化学技術は世界屈指のレベルであった。
北朝鮮は大きなプレゼントを得たことになる。