1種不合格/鹿児島県鹿児島市/T.A
専業農家がほぼ100%の私の集落のすぐ傍を2級河川の支流が流れており夏休みはこの川で遊んだ。殆どが米を耕作していたが十分な水がないと稲作はできない。田んぼが川より高いため上流の堰から延々と用水を引くがこの堰は道路より数メートル下にある。ここに「ターピン」という何か不思議な機械がある事が解っていた。夏になると回りだし中に入ることはできないが外から見ると何かゴーゴー回っている。水浴び後水路沿いに家に帰る途中で上流の堰からの用水路にゴボッゴボッと水が押し出されていてこの水は非常に冷たく別な所から来ていると感じた。どうも「ターピン」からの水らしいと解り田植えシーズン前の試運転時中に入ってみるとはるか下の大きなプーリーから大きな平ベルトで上の機械とつながっていた。運転中は平ベルトの継ぎ目がパタンパタンと音を立て回っており私は興味津々であった。 この堰とタービン水車は昭和11年頃前年の大干ばつに対応し国か県がここ高田川(永里川)に築造した水車駆動揚水ポンプであった。私の故郷高田地区は文字通り田が高く農業用水は遥か上流の堰から流下していた。3つ堰がありそれぞれの地区の水田に配水したがそれでも水は足りなかった。そのため4番目の堰は自然流下でなく動力で揚程数メートルを押し上げ既存用水路にそれぞれ補給するため建設された施設であった。ポンプは毎年運転していたが米の休耕制度が始まってから水が不足しなくなり現在は毎年試運転だけ行っている。
現在は水田の3分の一が休耕であるが当時は100%作っており用水は不足していた。そのため水の不足しがちな水田は水の奪い合いであり特に水路末端近くの田となると水は全く来ない。我が家にも末端に近い水田が1枚ありこの並びの田の用水確保はまさに「我田引水」そのものであった。子供の仕事は上流の田の水口を詰め「我田引水」する事である。いたちごっこですぐに塞いだ上流の水口は開き自分の水口は塞がれ水は来なくなる。夜遅く大人が「引水」に行く事もしばしばで中には独自に道路反対水路に水車を作り道路横断して水を確保する者もあった。
小学校前の田んぼは平地で日当りが良く収穫もよいので資産価値が高かったが水が必ずしも十分でないという欠点もあった一方で山際の水田は水は十分にあるものの日当りが悪いため収穫が悪く田んぼとしての価値は低かった。
このタービン水車は5m程度の落差で30馬力程度の出力であり20馬力位のポンプを駆動して揚水しており電力やエンジンは不要な究極の自然ネネルギー揚水施設で日本に2か所位しかない貴重な施設と聞いている。現在は試運転のみしているが運転可能である。私はこの施設に大いに興味を持っていたが原理が解ったのは高校の頃であった。
ポンプは地下1階、横軸タービン水車はそれから急な階段でさらに4m程度下りる。そこには直径3m位の横軸タービン水車と同軸で直結した同じくらいの大きさの平プーリーがあった。危険なため運転中はポンプ建屋には入れないが、窓からポンプが音を立て回っているのを観る事ができた。
昭和初期こんな田舎に30馬力もある近代揚水設備を造ったのは当時農業国の我が国が米増産にいかに力を入れていたかを物語っている。
水車のイメージとしては木で出来ていて小川を跨いでゆっくり回るものを想像するがここの水車の羽根は見えずただ壁から鉄のシャフトが伸びて大きなプーリーとつながっておりガイドベーン、水車、吐出管はタービン室外の吸い込み側にあった。中学校にふいごで回す模型の空気タービンがあったがこのタービン水車の羽根構造はわからず解ったのは後に発変電工学で水車を学んだ時であった。私の機械に対する興味の原点はここから始まっている。
貴重な農業遺産であるこの施設は90年経過した今も現役で動く私の故郷の自慢の一つである。
