1種不合格/鹿児島県鹿児島市/T.A
「発動機」という言葉を御存じだろうか。今では殆ど聞くことがない言葉になっているが今でいえば「エンジン」だろうか。名残として航空機のジェットエンジン基数が「双発機」「3発機」等「発動機」の頭文字が今でも使われる。
ジェット化以前の航空機のエンジンはレシプロの発動機で戦前の戦闘機「零戦」は星形14気筒空冷発動機「栄」、「紫電改」は星形18気筒「誉」が搭載された。
専業農家であった我が家はちょっとした篤農家で田んぼや畑が近所の一般農家の3倍位あった。金になる米を主に芋や煙草を作っていたが米の値段が現在の数倍位で60kg 2俵でサラリーマンの給料位の値段がした当時我が家は今の年収でいえば1千万円以上の収入のある農家であったと思われる。
当時稲の脱穀は足踏みの脱穀機が一般的で踏み板を上下に動かすクランク式で脱穀ドラムを回転させ稲の穂についた籾を落穂葛や藁屑ごと落とした後大きな手回し扇風機を一人が回し風下で「箕」と呼ばれる大きな「ショケ」から落とし屑を飛ばして籾を選別していたが我が家は既に発動機と自動脱穀機を所有していた。私が物心ついた昭和30年頃秋になると田んぼに発動機と脱穀機を持ち込み脱穀していた。機械は集落で一番早く導入していたようで私が初めて目にした唯一の機械であった。当時の米作りは馬と人力のみで最も手間がかかる脱穀も殆どの農家は人力だった。
発動機には「かつら」と書いてあり両側に大きなフライホイールが付いていた。レシプロ単気筒のためトルク脈動を軽減するためのものである。これを起動するとリズミカルな大きな音を立て回転する。片側のフライホイールには平プーリーが付いておりこれに幅10cm余りの平ベルトをかけて脱穀機のプーリーに繋ぎ駆動する。
発動機は回りだすと上部の水タンクの水が沸騰し減る為時々補給する。水タンクの隣には円筒形のタンクがあり「油」を入れていたが後にそれは燃料の「灯油」であったことが判った。音がして動く唯一の機械に興味津々の私は両親らが脱穀作業中この発動機の隣で寝入っていた事もあったと聞いた。回転体に幼児が近づきそこで寝入るなど非常に危険で今では考えられない事である。この他に牛馬の餌の煮炊き、炊飯、風呂、囲炉裏の燃料として大量の薪が必要で毎年冬に大量の雑木を切り倒したがそれも発動機駆動の鋸で50cm位に切断した。
燃料を最も消費するのは一番働く馬の餌で大半は餌を煮る大釜で消費していた。化石燃料は全く使わず発動機以外は究極のカーボンニュートラル生活であった。
発動機はいわゆる石油機関であり原理は車などのガソリン機関と同じであるが燃料が灯油で小出力の農機向けであったようである。現在この発動機の愛好家も多くイベント等に行くと70年くらい前の物を展示し動かしている。この発動機の構造を知ったのは中学校になってからだった。始動性や馬力不足からか暫くしてY社の4馬力位のディーゼル発動機に買い替えた。単体で平ベルトを回す発動機としてよく働き25年位持ったが最後は圧縮不足からか起動できなくなり遂に脱穀はエンジン付きで移動できる「ハーベスタ」にバトンを渡し我が家を去った。
しかしながら石油エンジン「発動機」はその後耕運機(手押しのトラクター)のエンジンとして再び我が家にやって来た。「サトウ」の発動機はスマートになり耕運機の前に載っておりコンパクトになったものの相変わらず片側にフライホイールはついていた。石油機関の発動機であり始動時はガソリンその後は灯油で動く。圧縮比が小さいためかプラグが非常に大きい。燃料として安い灯油を使用できるのが利点であったが耕運機エンジンも高回転で高出力のディーゼルに変わっていき遂に我が家も2台目耕運機はY社のディーゼル耕運機となっている。
発動機という言葉は現在石油で動く旧式単気筒エンジンに特化され使われているが私が初めてエンジンを知ったのがこの発動機であり機械に関心を持つ原点となった。 今でもよくイベント会場に愛好家達が発動機を持ち込み運転しているが、あの独特な音とぎこちない動きや排気ガスの匂いは遠く幼い頃私が初めて会った「かつら」の発動機を思い起こさせるのである。
