【技術者コラムvol.68】上位システム立上の話

第2種/千葉県千葉市/Y.K

30年数年前 4年間たまたま上位システム立上げの仕事をすることになりそれまで電気計装しか経験無かったところにシステムの仕事を理解するいい機会になりました。

当時 第一工場は24Hr稼働中で小ロット多品種の製品を約100工程オペレーターが指示書をみて各種装置へ製品を持って行き処理開始させ終わったら次の装置へもってゆき最終製品まで仕上げるといったことをしていました。

新設 第二工場では基本これを自動化するということでスタートしました。

具体的には上位システムからの指令で自動で製品を仕上げるというものでした。

ファシリティー電気増強・自動搬送設備の建設担当をしていましたが一段落したころ このシステム立上げの仕事を仰せつかりえらいことになったとあわてました。

自動搬送設備を担当していたため上位システムとは何度かの打合せで難しい仕事だと思っていたからです。

 

ソフト開発は各種事情から国内某S社で似たような開発・立上を経験したエンジニアたちにソフト会社を作らせそこが手掛けることに既に決まっていました。

ハードは安価なIBM互換PCでクライアントはCPUも386 ,サーバーは486でパーツはバラ買いで工場の一角で若手に組み立てをしてもらいました。

デバッグはそのソフト会社のある米国に若手のエンジニア数名を滞在させ連絡・デバッグ要員となってもらいました。

自然も豊かでレンタカーで少し走れば7月でもスキーもでき当時円高もありアウトドア用品や衣料などが格安でアウトレットやショッピングモールで手に入りました。ちょうど平成の米騒動の時期でしたが安いカリフォルニア米で自炊したりで 皆文句を言いつつもそれなりに楽しんでいました。

 

一方日本では50種類150台程度のいろんなメーカーの装置と通信および製品の受け渡しの試験に北は岩手県から南は九州の装置メーカーへノートパソコンと製品をもって米国のエンジニアを連れ行きました。

 

工場試験にはいると米国から日本語のできない6-7人エンジニアが来日して試験をやり実運用になだれこんで行きましたが毎日毎日多数バグ発生でこの時が人生で一番睡眠時間の少なかった時期だと思います。

彼らはいろんな提案・説明してくれましたが私のほうはC言語とか素人のためやりにくそうでこれではダメと思い暇を見つけてC言語とかSQLを見よう見まねで画面等作ってみたりして彼らの話に少しはついてゆけるようになりました。

それまでソフトといえばPLC・シーケンサーしか知らなかったので結構おもしろい世界もあると感じました。

 

彼らとつきあって個人の感想ですが感じたことは以下

・〇〇プロジェクトを、やったということが財産・キャリアである。

・キーパーソンはいつまでも同じ会社にとどまらない。

プロジェクトが終われば旅立ってゆくので遺留しても無駄。

・会社の名前は残っていても中身・人間は別の会社になっているというのが多々ある。残念ながらそのソフト会社も何年後かにはそうなってました。