第2種/鹿児島県鹿児島市/T.A
昭和50年3月私は就職した。49年度まではまだ景気も悪くなく40人に対し1部上場企業を中心に400社以上の求人がありまさに売り手市場のリクルートだったが私は就職に失敗し不本意な小さな鉄鋼会社に就職した。毎日会社を辞める事ばかり考えていたが次の年は一転景気が悪くなり就職難の年となった。ただあてもなく辞めたら路頭に迷うばかりか世間体も悪く親の面目丸潰れである。
そこで思ったのが主任技術者の資格をとる事であった。余暇はすべて勉強時間とする猛勉強が始まりその年3種翌年2種に合格できた。24歳になっていたが会社の希望退職募集に応じ自ら退路を断って人生のやり直しに挑戦した。郷里で幸運にも主任技術者資格条件での公務員試験があり再就職できた。
その後30年余り経過し私はごみ発電所の主任技術者としてタービン発電の建設を担当し完成後管理を行っていた。
ふと考えると1種の認定条件を満たしており発電所も一段落したので申請で1種を取得しようと考えた。試験勉強した時から30数年経過し頭も劣化しておりとても試験では合格できるはずがない。申請書類はインターネットで調査し自分では完璧に近いと確信し経産局に向かった。認定資格は1回では絶対通らないと聞いていたがはたしてそのとおりで担当官がいろいろ注文をつけてきた。
不合格である。最初は素直に聞いていたがだんだん不愉快になりいまさら絶対必要な資格でもない単なる箔付けに過ぎない資格に魅力を感じなくなり帰るときは既に次回申請はしないと決めていた。
担当官の注文は殆ど覚えていないが私が感じた所はどうでもよいような枝葉末節の指摘でただ1回で認定してはならない義務感によるものを感じた。
考えてみれば仮に認定で1種が取れたとしても血のにじむような思いで獲得した銀の卵に薄い金メッキをするようなものであり返って無垢な銀のままが輝かしいと思うようになりその後私は銀を磨くことに専念している。
